世田谷文学館で開催されている『岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ』を
観てきました。
『pink』、『リバーズ・エッジ』、『ヘルタースケルター』などなど、
惜しげもなく展示された原画の数々を観ていると、80年代〜90年代半ば、
常にサブカルチャーの中心にいた岡崎さんと共に、「あの時代」が鮮明に蘇ってきました。
岡崎さんと最初に会ったのは80年代末、渋谷の小さなライブハウスでした。
その頃、私と森本さんは渋谷系の前身であるネオGSにどっぷりとハマり、
ザ・ファントムギフトを中心に、夜な夜なライブに通っていたのです。
(後に私はファントムギフトのベーシスト、サリー久保田と結婚することになりますw)
当時はまだお互いに面識はなく、「岡崎さん、また来てる」と、姿を目で追っていたのですが、
ファントムギフトに限らず、何かのお芝居を観に行っても、そこにまた岡崎さんがいる
という感じで、森本さんは「好きなものがすごく似ているから、いつか何かのきっかけで
友達になりそうだ」と言っていました。
そしてそのきっかけは、すぐにやってきたのです。
ある日、小西康陽さんの自宅で飲み会が開かれることになり、私と主人の久保田、
森本さんの3人で出かけたところ、案の定、そこに岡崎さんがいました。
その日は他にサエキけんぞうさん、沼田元氣さんなどもいて、いい感じに酔いが
まわったあたりで、小西さんの提案で「俳句の会」を開くことに。
参加者それぞれが季語を出して自由に俳句を詠んでみると、これがなかなか面白く、
それからは年に何度か集まって句会を開くようになりました。
このあたりのお話は、弥生美術館での「森本美由紀ナイト!」で、サエキさんと
沼田さんが大いに語ってくださることと思います。
箱根や江ノ島、都内の古びた旅館、清澄庭園の茶室や前田公爵邸など、持ち回りの
幹事がいろんな場所を探してきて、日帰りだったり一泊したりして俳句を楽しみました。
まあ、俳句にかこつけて、集まって遊びたいというのが本音だったのかもしれませんがw。
91年頃から4〜5年ほど続いたこの句会は、岡崎さんの事故で自然解散しました。
つぎの幹事は岡崎さんでした。
「仕事が忙しくてなかなか準備ができなくてごめん」という、イラスト入りのはがきが
律儀に届きました…。
そう。つぎの幹事は岡崎さんなんだよ。。。
江ノ島で句会を開いた帰り、下北沢に住んでいた森本さんと岡崎さんが、ふたりで
小田急線で帰ったことがありました。
森本さんから聞いたところによると、あれこれと他愛も無いおしゃべりをしていたら、
向かいの席に女子高生が何人か座ったのだそうです。
すると岡崎さんはおしゃべりをやめて、真剣な表情で女子高生の会話に耳を傾けた
といいます。
「本当に耳ダンボという感じだった。大変な仕事なんだなと思ったよ」と、
森本さんは話していました。
岡崎さんの作品は、女の子が落ちていく様を残酷なまでに徹底的に描き出すけれど、
そこにある圧倒的なリアリティは簡単に生み出されるものではなく、そうして日々、
いろいろなものを見て、聞いて、嗅いで、感じて、触れて、悩んで苦しんで淘汰して
昇華させた、美しい結晶のようなものだったのだと思います。
『pink』を読んだときに、そのあまりの完成度の高さに、酔った勢いで岡崎さんに
低次元な感想を言ってしまったことがありました。
「岡崎さんがもしアメリカ人で、漫画ではなく小説を書いたとしたら、間違いなく
世界レベルの大作家になるのに」と。
あの頃はニューヨークを中心に、若手のアメリカ人作家の台頭が目覚ましかった
時代でした。
このくだらない感想に対する岡崎さんの返事は
「あいにく私は日本人で、漫画家なんでね」でした。
研ぎすまされたテーマとストーリーだけでも特筆モノなのに、それをイラストを
使って表現し、さらに世界観を拡げる…。
漫画家というのは、ある意味作家以上にすごい才能を要するんじゃないかと、
岡崎さんの作品を見るとつくづく考えさせられてしまいます。
世田谷文学館での「岡崎京子展」は3月31日まで。
時間がないのでまだの人は早く!です。
http://www.setabun.or.jp