2019年09月25日

原田治展と森本美由紀

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昨日は「森本美由紀作品保存会」のメンバー3人と、なぜか偶然うちの主人も一緒に世田谷文学館へ。「原田治展」の最終日でした。
世田谷文学館って、岡崎京子さんとか信藤三雄さん、そして原田治さんと、なぜか縁のある方の展示が多くて不思議です。

あとから聞いたところによると歴代3位の来場者数だったそうで、「原田治展」はとにもかくにも大盛況でした。
幼少期の絵日記や色指定の作業が無かった時代のベタ塗りのカットなど、初めて観るものがとにかくたくさんあり、2016年に弥生美術館で開催されたときは「オサムグッズの原田治展」だったので、これでコンプリート!と大満足でした。

そんな中で、突然目に飛び込んできたのがこの写真です。
左から原田さん、新谷雅弘さん、安西水丸さん、ペーター佐藤さん。仲良し4人組が「パレットくらぶ展」を開催した頃の写真かと。

水丸さんは、私がこの仕事を始めた頃に学研の雑誌『フェアレディ』に「プロペラペラちゃん」という4コマ漫画を連載していて、バイト学生だった私は月に一度、青山の事務所まで原稿をとりに行っていました。
単にイラストを受け取るだけなのに、「あのビックリハウスの安西水丸さんが目の前にいる」という事実に頭がクラクラしました。
「最近、急に目が悪くなってね」とおっしゃっていたことと、よくカメラをぶらさげて青山界隈を散策していらしたこと、あいさつをすると、この写真そのままの笑顔を返してくださったことを覚えています。

ペーターさんは、原田さんと同じく森本美由紀の才能を高く買ってくれていて、初めての森本美由紀の個展はペーターズギャラリーでした。1度か2度、ご挨拶をした程度で、さほど面識はなかったものの、当時、ペーターズギャラリーのすぐ近くに桑原茂一さんの事務所があり、確か同じビルの上の方にペーターさんの事務所もあって、中階段で行き来ができるような不思議な作りになっていて、茂一さんが「ペーターに1日3回会うと、3回とも違うシャツを着てる」とおっしゃっていたのが印象的でした。
ちなみに、ペーターさんが亡くなったあとのパレットクラブのスタイル画講師は、森本が務めました。それも原田さんの意向あってのことです。
そして森本が亡くなり、有志だけで回顧展を開こうと決めたとき、「森本さんなら」と、ただで会場を貸してくださったのはペーターズギャラリーでした。今の保存会は、そのときに発足しました。

私はマガジンハウスの仕事はしたことがないので、新谷さんとは全く面識がありません。水丸さんと同じく、ビックリハウスの中で明石町先生こと原田治さんが描いていた似顔絵の印象しかないのですが、森本美由紀が「オリーブ」の仕事をしていた関係で、何百回とお名前は耳にしていて、そのうちに森本は、私と新谷さんは面識が無いということをすっかり忘れてしまったようだったので、いつも話を合わせていましたw。

そして原田治さん。
初めてお会いしたのは、なぜか森本美由紀が亡くなったあと。ちょうど弥生美術館で開催する「森本美由紀展」の準備に追われている頃でした。
パレットクラブで「安西水丸とその弟子たち・展」があり、観に行ったときに、たまたま原田さんがいらして、おいしい緑茶を煎れてくださり、「森本美由紀・ペーター佐藤の2人展をパレットクラブでやりたいんです。森本さんも、きっと喜ぶと思うんです」と。それがお話をした最初でした。

安西水丸さん、ペーター佐藤さんと森本美由紀の回顧展、そして自らのオサムグッズ展を弥生で開き、『ぼくの美術ノート』を出版し、何もかもきれいに整理して風のようにいなくなってしまった原田さん。。。
あまりにも潔すぎて、どういうシナリオなのだ?と思ってしまう。

とにかくこの1枚の写真を見たときに、数秒のうちに頭に浮かんだのが以上のこと。そして当時の大人たちは実にかっこよかったということです。
私はあんな大人に憧れたけれど、あんな大人にはなれずにここにいる。そんなことをしみじみ感じたりもしました。
それにしても、なんて素敵な笑顔なんだろう。泣けちゃうよ、本当に。。。
#原田治展 #世田谷文学館
posted by チロリン at 00:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月29日

仕事仲間と…

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昨日は仕事仲間の5人が私の還暦をお祝いしてくれる
ということで、中華街に集まりました。
私以外は全員ハースト婦人画報社の社員だった人&
現役社員の方たちです。
お付き合いのきっかけは婦人画報社刊『mcシスター』の
仕事。駆け出しの頃なので、もう40年近く前になります。
以来、何かお祝い事がある度に食事会などを開いている
のですが、考えるまでもなく私は単なるフリーライターで、
画報の社員だったこともないのに、いつも仲間に入れてくれて
本当に嬉しいというか、ありがたいというか…。
そして40年前と変わらず、今も婦人画報社でお仕事をさせて
いただいていることに、本当に感謝しています。

食事は中華街の「錦里」というお店。
実は当日まで、「食事の場所はお楽しみ」と内緒にされていた
のですが、このお店の名物は一子相伝の「変面ショー」。
男性が踊りながら次々とお面を替えていく伝統芸で、
テレビでは観たことがあったものの、本物はもちろん初めて!
かなり間近で見ても、どうやってお面を替えるのかまったく
わからず。
「歌舞伎の早変わりよりこっちのほうがすごいよね」と、
みんな大感動でした。
食事の後はメチャ混みの中華街でおみやげなどを買い、
横浜に出てボーリング。本当に楽しい一日でした。

元『mcシスター』編集部のみなさんには、森本美由紀さんが
亡くなった時も励ましていただき、回顧展のためにカンパを
募ってくれたことも忘れられません。
森本さんが「私は60歳になったときにイラストレーターとして
のピークを迎えたい」と言っていた、その年齢に自分が達した
こともあり、いろいろなことを考えさせられました。
フリーライターは一匹狼の仕事ですが、それにしても私は
仲間に恵まれた、とつくづく思います。。。
posted by チロリン at 16:50| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月03日

森本美由紀作、究極のジェットコースター

ひょんなことから、今日は家族で富士急ハイランドへ。
前回家族でここに来たのは10年前。春先の風の強い日で、乗りたかったジェットコースターが
次々に運転休止になり、悔しい思いをしたのでした。
本日はそのリベンジ。
コースターが苦手な主人は温泉でまったり。
息子とふたりで乗り倒してきました!

その昔、『mcシスター』で森本美由紀とふたり、ジェットコースターの乗り比べをしたことが
ありました。
その企画の締めは、ふたりで考えた究極のジェットコースター、題して「タマウルバン」
というものだったのですが、富士急ハイランドの「高飛車」は、私たちが考えた夢の
コースターの要素をほぼ100%取り入れた、とんでもなく素敵な絶叫マシンでした。
現実にこんなのができちゃうなんて〜〜〜!!!

ネタバレになるので高飛車の詳細は言いませんが、嬉しかったのでふたりで考えたコースター、
公開しますw。

#富士急ハイランド #高飛車

スクリーンショット 2018-12-02 23.54.46.png
posted by チロリン at 00:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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