2015年05月07日

「タマちゃん本」、もうすぐ完成♪

昨日は「森本美由紀 作品保存会」のメンバー、Yさん、mu-muさんと3人で
Yさんの事務所に集まり、一日かけて「タマちゃん本」の校正をしました。
(多分Yさんは現在も作業続行中あせあせ(飛び散る汗))。

本のタイトルは『タマちゃん もうひとりの森本美由紀』です。
タマちゃんというキャラクターは、森本さんの分身的な存在。
がぜんやる気も出ようというものですが、いざやってみるとこれがなかなか
タイヘンな作業でした。

何が大変かというと、まず森本さんが生涯に描いたタマちゃんがとんでもない
数だった上に、そのほとんどを愛着からしっかり保存していたので
(個人的に描いたものやらくがきまで全部)、何千というタマちゃん軍団の中から
掲載作品を選び出すのがひと苦労。

さらに、タマちゃんのホームグラウンドは雑誌『mcシスター』なんだけど、
『オリーブ』や『ヴァンサンカン』、書籍やフリーペーパーなどなど、
いろんな媒体で活躍したため、初出を探しだすのがまたとんでもない苦労。

そしてそして、選び出したタマちゃんを誌面でどう組み合わせ、再構成するか、
どうしても落としたくないカットをどこでどう使うか、とにかく3人で
頭を抱えることしきり。

それでもなんとか構成を考え、Yさんがインデザインを使ってコンテを
作ってくださったのですが、これがまた尋常じゃない大変さ。
3人でDropboxを共有し、そこに画像などを入れて作業をしていたので、
真夜中にパソコンを開くと「ズザーン.jpgアップしました」とか
「ハイソレ.jpgアップしました」といった、ナゾのお知らせが次々と。
それを見る度に「ああ、Yさん、こんな時間まで作業している…」と
画面に向かって拝んでおりましたw。

そんなこんなで、作業を進めるに従って、3人にしかわからない隠語(?)が
たくさん誕生しました。
「よおしいいぞーに入る注釈は?」
「ネコ足タマなら『知ってるもーん、ペラペラペー』があったはず」
「ここの初出、ぴんからタマしかわからない」
といった、他の人が聞いても何のことだかさっぱりわからんが、3人には
バッチリわかるという状況が延々続いていたのでした。

『タマちゃん もうひとりの森本美由紀』は河出書房新社より、6月下旬
発売予定。
内容詳細については、また次回お話ししますね♪


posted by チロリン at 15:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月29日

岡崎京子さんのこと

岡崎.JPG

世田谷文学館で開催されている『岡崎京子展 戦場のガールズ・ライフ』を
観てきました。
『pink』、『リバーズ・エッジ』、『ヘルタースケルター』などなど、
惜しげもなく展示された原画の数々を観ていると、80年代〜90年代半ば、
常にサブカルチャーの中心にいた岡崎さんと共に、「あの時代」が鮮明に蘇ってきました。

岡崎さんと最初に会ったのは80年代末、渋谷の小さなライブハウスでした。
その頃、私と森本さんは渋谷系の前身であるネオGSにどっぷりとハマり、
ザ・ファントムギフトを中心に、夜な夜なライブに通っていたのです。
(後に私はファントムギフトのベーシスト、サリー久保田と結婚することになりますw)
当時はまだお互いに面識はなく、「岡崎さん、また来てる」と、姿を目で追っていたのですが、
ファントムギフトに限らず、何かのお芝居を観に行っても、そこにまた岡崎さんがいる
という感じで、森本さんは「好きなものがすごく似ているから、いつか何かのきっかけで
友達になりそうだ」と言っていました。

そしてそのきっかけは、すぐにやってきたのです。
ある日、小西康陽さんの自宅で飲み会が開かれることになり、私と主人の久保田、
森本さんの3人で出かけたところ、案の定、そこに岡崎さんがいました。
その日は他にサエキけんぞうさん、沼田元氣さんなどもいて、いい感じに酔いが
まわったあたりで、小西さんの提案で「俳句の会」を開くことに。
参加者それぞれが季語を出して自由に俳句を詠んでみると、これがなかなか面白く、
それからは年に何度か集まって句会を開くようになりました。
このあたりのお話は、弥生美術館での「森本美由紀ナイト!」で、サエキさんと
沼田さんが大いに語ってくださることと思います。

箱根や江ノ島、都内の古びた旅館、清澄庭園の茶室や前田公爵邸など、持ち回りの
幹事がいろんな場所を探してきて、日帰りだったり一泊したりして俳句を楽しみました。
まあ、俳句にかこつけて、集まって遊びたいというのが本音だったのかもしれませんがw。
91年頃から4〜5年ほど続いたこの句会は、岡崎さんの事故で自然解散しました。
つぎの幹事は岡崎さんでした。
「仕事が忙しくてなかなか準備ができなくてごめん」という、イラスト入りのはがきが
律儀に届きました…。
そう。つぎの幹事は岡崎さんなんだよ。。。

江ノ島で句会を開いた帰り、下北沢に住んでいた森本さんと岡崎さんが、ふたりで
小田急線で帰ったことがありました。
森本さんから聞いたところによると、あれこれと他愛も無いおしゃべりをしていたら、
向かいの席に女子高生が何人か座ったのだそうです。
すると岡崎さんはおしゃべりをやめて、真剣な表情で女子高生の会話に耳を傾けた
といいます。
「本当に耳ダンボという感じだった。大変な仕事なんだなと思ったよ」と、
森本さんは話していました。

岡崎さんの作品は、女の子が落ちていく様を残酷なまでに徹底的に描き出すけれど、
そこにある圧倒的なリアリティは簡単に生み出されるものではなく、そうして日々、
いろいろなものを見て、聞いて、嗅いで、感じて、触れて、悩んで苦しんで淘汰して
昇華させた、美しい結晶のようなものだったのだと思います。

『pink』を読んだときに、そのあまりの完成度の高さに、酔った勢いで岡崎さんに
低次元な感想を言ってしまったことがありました。
「岡崎さんがもしアメリカ人で、漫画ではなく小説を書いたとしたら、間違いなく
世界レベルの大作家になるのに」と。
あの頃はニューヨークを中心に、若手のアメリカ人作家の台頭が目覚ましかった
時代でした。
このくだらない感想に対する岡崎さんの返事は
「あいにく私は日本人で、漫画家なんでね」でした。

研ぎすまされたテーマとストーリーだけでも特筆モノなのに、それをイラストを
使って表現し、さらに世界観を拡げる…。
漫画家というのは、ある意味作家以上にすごい才能を要するんじゃないかと、
岡崎さんの作品を見るとつくづく考えさせられてしまいます。

世田谷文学館での「岡崎京子展」は3月31日まで。
時間がないのでまだの人は早く!です。

http://www.setabun.or.jp

posted by チロリン at 01:06| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月11日

ナンシー関さんのこと

先日、弥生美術館での検品に行く前に、tanuさん、あんころりんさんと
3人で、パルコミュージアムで開催されていた『顔面遊園地 ナンシー関
消しゴムの鬼』展を観てきました。

ナンシーさんと私は、会えばあいさつをする程度の間柄でしたが、
森本さんが亡くなったときに今後の作品管理等をしていくうえで、
同じように独身でフリーランスだったナンシーさんの場合はどうなのかと
あんころりんさんがドゥ・ザ・モンキーに相談をしてくださった経緯もあり、
ぜひ観に行きたいと思っていたのです。

最終日前日とあって、会場はものすごい人だかり!
何しろひとつひとつの作品が文字通り「消しゴム大」で、しかもどの作品も
じっくり観たくなるものばかりなので列がまったく動かず。
弥生に行く時間が迫り、すべて観るのはあきらざるを得ない状況で、
今更ながらナンシーさんの人気を再確認したのでした。

ナンシーさんと初めて会ったのは、講談社『ホットドッグプレス』の
編集部でした。
80年代半ば。当時のHDPは「ファッション班」「カルチャー班」
「女の子班」などにチームが分かれており、私はファッション班に所属。
チーフエディターは山田五郎さんでした。
カルチャー班のエディターとしてはいとうせいこうさんがいて、編集部と
部屋続きのレイアウトルームには、デザイナーの方たちのなかに
スカパラのギムラ君がいました。
ちなみにギムラ君のお兄さんも、同編集部のデザイナーでした。

今思うとものすごい面々が集結していたわけで、当然雑誌にも力があり、
競合誌のポパイを抜いてトップの売り上げを独走していたあの時代。
とにかく編集部の居心地がいいので、講談社の他誌で仕事をしているライターも
なぜかHDPまでやってきて、夜な夜な原稿を書いていました。
メールもインターネットもないので、ライターはデザインルームから
レイアウトが上がってくるのを待って、徹夜で仕事をしていたのです。

ナンシーさんはそんな編集部の片隅に時々現れて、大きな背中を丸めて
消しゴムを彫っていました。
「できた」とつぶやくと、みんなが一斉にナンシーさんの周りに集まります。
今でも「あれはすごかった」と思い返すのは、昭和天皇の作品。
天皇陛下の御尊顔の横には「あ、そう」とひとこと彫られていました。
「うわーすごい〜!」と一同が感嘆の声を上げると、ナンシーさんは
「エヘヘ」と笑うのでした。

森本さんの回顧展等のお手伝いをするようになってから、とにかく昔を
振り返る機会が多く、「あのときはどうだったっけ、あれはいつ頃だったかな」と
記憶を辿るのですが、森本さん然り、ナンシーさん然り、あの頃の
紙媒体にはものすごくパワーがあって、面白いことが溢れていました。
トレンドはまず紙が紹介し、テレビが後追いする感じで、なんとなくですが
「これはもうテレビに出ちゃってるから古い」という感覚がありました。

そんな時代に活躍したナンシーさんの自伝がドラマになるそうです。
写真観たけど、似てるな安藤なつ。
プレミアムドラマ「ナンシー関のいた17年」はBSプレミアムで
12月14日(日)22:00から。
あの時代の空気をどこまで再現できるのか、これは必見です♪
http://natalie.mu/owarai/news/131605
posted by チロリン at 16:58| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする