トークの前にサイン会も行われるので、弥生で購入した復刻トートを持って
3時過ぎに出かけてみたのですが、美術館の入り口には会場から溢れ出た人が。
完全に甘かった。弥生のtweet、確認しておけばよかった。
サイン会の参加券を確実にゲットするには午前中着が必至だったみたい。
とにかくすごい人気です。
*ジル、ドッグなどトートの絵柄は4種類。残念ながら、わずか2日で完売。
原田先生のご厚意で1時間延長されたサイン会が5時に終わり、
5時半からいよいよトークショーがスタート。
今回の1000点に及ぶ展示作品、オサムグッズに関してはトムズボックスの
土井章史さんの秘蔵コレクションがメインですが、その土井さんが
進行役となり、元コージー本舗の石井志津男さんも同席されて、
オサムグッズ誕生からこだわりの点まで、ここでしか聞くことの
できない貴重なお話を伺うことができました。
1976年に産声をあげたオサムグッズ、いちばんの特徴は、イラストだけではなく、
アートディレクションも原田先生ご自身がされたところにあります。
約30年間で、その数なんと1万種類ですって! 1万点じゃないですよ、種類です。
その間、1ヶ月に20〜30のアイテムをコンスタントに提案し続けたと聞き、
「そんなこと、本当にできるの!?」と今更ながらビックリ。
「僕は、イラストはすべて“版下”だと思っている」というお話も興味深かったです。
江戸時代の浮世絵師は、薄い紙に絵を描いて版元に渡していました。
版元ではその絵を板に乗せ、彫師が絵をなぞりながら版画を作るので、元絵は
切り刻まれて消滅してしまう。
そういう仕事がしたいとおっしゃるのです。
な、なんという潔さ!
今回の展示では、スミ一色で描かれた原画にトレペをかけ、そこに色指定を
してDICを貼付けた、制作過程の貴重なイラストも展示されています。
「版下」という先生の言葉を思い浮かべながら観てくださいね。
そして「いちばん影響を受けたものは?」という質問に対しては
「ナンシーという漫画。誰も知らないだろうけれど」と。
いや、なんとなくわかる!
ベティーブープをオサムタッチかつ少女にしたような、というか…。
イガグリみたいなツンツンの黒髪に大きなリボンをつけた女の子
だったような。
そして「ディズニーよりもハンナ&バーベラが好きだった」という
お答えに、オサムグッズがなぜこんなにも女の子の心を掴んだのか、
自分なりにわかったような気がしました。
ハンナ&バーベラはアメリカMGMのアニメ・プロダクション。
日本でいちばん有名なのは、なんといっても「トムとジェリー」でしょう。
オサムグッズが生まれた1976年に高校生だった女の子(つまり森本美由紀
ですねw)たちは、子供の頃、毎日ハンナ&バーベラを観て育ちました。
夕方になり、MGMのトレードマークであるライオンを押しのけるように
トムが出てきてニャーオと吠えると、アニメ番組が始まります。
「クマゴロー(Yogi Bear)」「原始家族フリントストーン」
「宇宙家族ジェットソン」「突貫カメ君」「スーパースリー」
「ラムヂーちゃん」「キャスパー」などなど、挙げればきりがないほど。
そんな上質なアニメを観ていた頃、少女たちが夢中になったものに、
いわゆるファンシーグッズがありました。
小学生なら水森亜土や田村セツコのランチョンマット、ホリー・ホビーの
缶ペンケース。ルー・シュミットや内藤ルネが描くパンダのレターセット…。
中学生からはスヌーピーも参入します。
そして高校生になると、極力薄くした学生鞄にちょっとお洒落なペーパー
バッグを持つのが定番となるのですが、何しろ紙なので、すぐにボロく
なるのが難点。そこに登場したのがオサムグッズなのでした。
サブバッグを持つのは「私の鞄にはお弁当箱なんて入らないのよ」という
薄さ自慢&ステイタスで、そのお弁当箱を入れるのに、オサムグッズの
バッグはまさにドストライクだったのです。
アメリカのカートゥーンを観て育った世代にとって、ドメスティックな
匂いがまったく感じられないオサムグッズは、今で言うところの
「ネ申」でしたw。
もちろんバッグだけではなく、お弁当箱にノート、時計と、欲しい物は
星の数ほど。正直、ちょっと高くて手が出なかったアイテムも
たくさんありました。
その煌めく星たちを、今回の展示でぜひ観てほしいのです。
知れば知るほど奥深い、原田治とオサムグッズの世界!
会期中には何度も足を運んでしまいそう♪
期間限定のミントチョコドリンクの話もしたかったけれど、
長くなったのでまた次回!